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ぶろぐ

「あるくとぷらす」の放課後デイ!

~母と弟の話~

福岡県八女市で「足と歩行の専門家」として、靴店「あるくとぷらす」と放課後デイサービス、久留米で歩行改善による認知症予防のデイサービスを運営しています。私が放課後デイサービスを立ち上げた経緯や、今、思う事について書かせてもらおうと思います。

 私の弟は、知的障がい児でした。 2歳年下の弟のそれに気付いたのは、私が幼稚園の時です。 自分の弟は、普通の子たちと違う。 でもそれは、やはり子供の感性。 それが何を意味するかも分からず、ただ事実を認識するくらいでした。 小学校に弟が入学してきたのは、私が3年生になった時。 素直な弟が可愛くて仕方なかった私は、毎日小学校に一緒に行っていました。

でも、私が5年生になったあたりから、弟が大嫌いになり始めました。 そろそろ思春期に差し掛かる年齢でもあり、一般健常児でない弟が恥ずかしくて仕方なくなってきたのです。 私が中学12年の2年間、弟が同じ学校にいない期間を過ごしましたが、3年に上がる時には新1年生として入学してきます。 私は猛反対しました。

1番カッコつけたい年頃で、弟の存在は、私にはとても受け入れられなくなっていました。小さい頃、あんなに可愛くて大好きだった弟なのにです。 私の強い訴えを聞いたあの時の母親を、今も忘れられません。 「この子はうちの宝よ! この子は、うちの先祖代々の業を洗い流すために生まれてきたの。 この子を大事にしたら家族みんなが幸せになる。大事にせんといかんとよ!。 あなたは、たった1人のお兄ちゃんやろ? 分かってちょうだい。 お願いだから弟を嫌いにならんどって!」 母は大泣きしながら、叫ぶように私に言いました。あまりの母の言葉の強さと想いに、そして「いつも優しい母を大泣きさせてしまった」という後ろめたさに、私は思わず「分かったよ。分かったからもう。」と口にしていました。 でも、それから私は、弟の事を少しだけ前向きに捉える事が出来るようになりました。

そして、いつの間にか母からたくさんの事を学んでいました。 今みたいに放課後デイサービスや様々な相談機関なんてない時代です。 母は、いつも必死でした。大学病院を周り、学校や色んな場所に働きかけ、弟の知的障がいの改善や居場所を作ろうと、いつも足掻いていました。 「この子の事を宜しくお願いします! 人の助けがないと生きていけない子です。ご迷惑おかけすると思いますが、何卒宜しくお願いします!!」いつも頭を下げていました。 私は母から、親の強さ、いえ、女性の強さを、その背中から何かかけがえのないものを学んだのです。

弟と一緒の中学時代も終わり、高校は別々になりました。その間、弟が家出をするというちょっとした事件もありました。家族全員で深夜まで捜索してたら、何と静岡で補導されたという連絡が入りました。 1人で切符を買い、何と新幹線で静岡まで行ってたのです。今では笑い話ですが、当時は本当に驚いたエピソードです。

私は、そんな家族の中で育ちました。 だから家族の絆は強いです。弟が、家族の絆を強くしてくれました。 彼は、本当に宝でした。母の言う通りでした。 家族の絆こそ本当の宝なんですね。 この歳になって改めて感じます。 「足と靴」の仕事に就きましたがいつしか、こんな体験をした自分なら障がいを持った子供・ご両親・ご兄弟のサポートが出来るかもしれないと思い、足からの身体や脳の療育も含め、放課後デイサービスを立ち上げたのです。

毎日たくさんの子供達が通ってきてくれます。みんな天使であり、天才であり、日本の宝です。この子達の自立を支援する事が、私の使命の1つです。 日本でおそらく唯一、一般のお店と併設している福祉施設。ここは、毎日が社会科見学です。 公共の場に毎日触れる。 子供達は、色んなことを感じとってくれてるようです。 今日も子供達の元気な「ただいま!!」の声がお店に響き渡ります!